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2013年2月28日 (木)

三波春夫(4)

・・・相変わらず、予約キャンセル、バックレ者が多くて敵わん!
何度も言うようだが、月60万の損害は年間720万・・・
店の存続に関わる大問題・・・トホホ・・・

ブログを書く気も失せて、ここ4日ほど休んでいましたが、
今日で2月も終わり、明日から3月ということで、
気分を変えて、感銘を受けた三波春夫の話題に戻りたいと思います。

・・・以下、Wikipediaより部分的に抜粋、編集
三波春夫(みなみはるお)1923年7月19日生、2001年4月14日没。本名、北詰文司(きたづめ ぶんじ)。新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身。

1936年、13歳で父親の家業が傾いたために家族と共に上京。築地の魚河岸などで丁稚奉公をしていた。幼い頃母親を亡くした三波に、父親が寂しさを埋めさせたい思いから民謡を教えたのが、三波の歌の原点である。1939年、16歳の時に浪曲師・南篠 文若(なんじょう ふみわか)としてデビュー。1944年、21歳で陸軍に召集され満州に渡った。敗戦を満州で迎える。敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。

1949年9月、帰国。浪曲師として復帰。その頃、三味線の曲師であった妻・ゆき夫人と結婚する。50年代半ばに入ると、大衆歌謡演歌が流行り始める。そして、三波はその演歌に大きな魅力を感じていた。時代の流れと共に衰退し始めた浪曲を見つめていた三波は、後に、浪曲師としての活動に終止符を打つ。

1923年、大正12年生まれ。関東大震災の年です。
この年代に生を受けた人は、必然的に太平洋戦争の影響を受け、人生を歩むことになります。
彼も例外ではなく、中国の今の東北地区で軍人として任務につき、
敗戦の責を負い、4年間もシベリア抑留生活を強いられています。

戦争の被害者に有無名の差別をするのは全く意味のないことですが、
あえて有名な人物を挙げると巨人軍の不世出の大投手、沢村栄治がいます。
戦前ベーブ・ルースやルー・ゲーリックとも対戦。1944年、東シナ海で戦死しています。
彼のライバルの我が阪神タイガース(小生虎キチ)景浦將も1945年フィリピンで戦死。
母の計らいで最後に戦場に赴く前に結婚していたと言います(泣)。

この辺りは、よくある戦争悲話で、この頃の日本人全ての老若男女が
いろいろな場所で様々な形で、戦争と、生と死と、向き合っていたのです。
Photo
沢村栄治・・・
現代では、野茂やダルビッシュなど、
メジャーで活躍する日本人ピッチャーも珍しくありませんが、
今から100年近く前、日本野球の黎明期、
アメリカの大打者、スーパースターから三振を
バッタバッタと奪うなんて、どのくらいサプライズなのか?
アメリカ人は間違いなく「オーマイガー!」

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