« 三波春夫(4) | メイン | 三波春夫(6) »

2013年3月 1日 (金)

三波春夫(5)

・・・前回よりつづき

・・・以下、Wikipediaより抜粋
1957年6月、芸名を「三波春夫」と改めて歌謡界へデビュー。デビュー曲の「チャンチキおけさ」「船方さんよ」のカップリングが売れに売れ、一気に大人気歌手の仲間入りを果たす。
翌1958年、第9回NHK紅白歌合戦に「雪の渡り鳥」で初出場。
戦後の、日本の復興の象徴ともいえる二つの大きな祭典でも三波の存在が光った。東京オリンピックの前年の1963年に、テーマソングとして「東京五輪音頭」がレコード会社8社競作のもとで発表される。三波のほかに、北島三郎や三橋美智也、橋幸夫盤が存在したが、その中でもテイチクの三波盤が突出して大ヒット。250万枚を売り上げる。
6年後の日本万国博覧会のテーマ曲「世界の国からこんにちは」を歌ったことで1970年、リベリアで発行された日本万国博覧会を記念した切手に登場した。日本の芸能人が海外の切手に登場したのはこれが初めてのことであった。また、同曲の三波盤は130万枚のヒットを飛ばした。この頃から、三波は「国民的歌手」と呼ばれるようになった。
そして「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」の2曲は、三波が生涯最後まで大切に歌い続けたことで、歌手・三波春夫の代表曲として今でも知られるようになっている。
晩年、三波はこの2曲のテーマソングを「生涯の宝物でございます」と語った(1994年芸道55周年記念リサイタル中のMCにて)。

人が羨む立身出世物語。
まさに戦後日本の世紀のイベントである、
東京オリンピックと大阪万博のテーマソングを歌えたのは、
強運といえば言えますが、その役が回ってくるということは、
それなりの実力、実績があったからでこそ・・・
でも、筆者が三波春夫に感銘をうけたのは、
こうした歌手としての成功話ではなく、
別のエピソード、晩年における社会に対する接し方にあるのです。
長くなるので、次回以降で・・・

前回、戦場で散った沢村選手のPHOTOを載せたので
筆者と同じ虎キチのために影浦選手も・・・
(前回、間違えました・・・あの頃は阪神ではなく大阪タイガースでした)
Photo
最優秀防御率と首位打者の双方を記録した唯一の男・・・景浦將
1936年秋季に投手として防御率0.79で最優秀防御率、6勝0敗の勝率10割で最高勝率を獲得。1937年、サードの4番打者に転向し、首位打者(秋)、打点王(春)1938年(秋)と群を抜いた活躍を見せ、初代プロ野球日本一と翌年の日本一連覇を牽引した。最優秀防御率と首位打者の双方を記録したのは現在に至るまで景浦が唯一である。

日ハムの大谷くんは、彼以来の偉業をなすほどの選手に育つのか?
・・・二刀流・・・できたら凄いよなぁ

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://cms.blog.gnavi.co.jp/t/trackback/575199/31146339

三波春夫(5)を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

火鍋 蒙古苑 のサービス一覧

火鍋 蒙古苑