« 三波春夫(6) | メイン | 三波春夫(8) »

2013年3月 2日 (土)

三波春夫(7)

お客様へ
(三波春夫のいうお客様とは、違う!断じて!)

お願いがあります・・・
予約後のキャンセルは、本当にやめてください。
頼むしかしかありません・・・
キャンセルの可能性のある方は、予約しないでいただきたい。
どうか、わかってほしい・・・
キャンセルするなら、予約するな!

・・・怒りを鎮めるために今日も書きます
・・・そのためにリライトしているようなものです
・・・三波春夫伝説

・・・(6)よりつづき・・・

・・・以下、Wikipediaより抜粋、編集

1992年、シングル『ハウスおまんた囃子』でハウス・サウンドを導入。ライヴ・イヴェント"HARUO IN DANCE BEAT"では電気グルーヴと共演。シングル『ジャン・ナイト・じゃん』ではラップにも挑戦して話題となる。この『ジャン・ナイト・じゃん』ではで若年層にもファンが拡大し、人気ナンバーワンディスコ、ジュリアナ東京でもライブを開催。その当時三波は69歳という年齢での挑戦であったが、圧巻であった。ほかにも「チャンチキおけさ」のラップバージョン等をテレビでも披露している。

1994年1月、体調を崩して訪れた東京都内の病院で前立腺癌と診断された。発見された時点では既に早期発見ではなく、娘・美夕紀が、三波と三波の妻・ゆきを前にして病名を告げた。しかし、三波はたじろぎもせずに「仕事をしながら病気と闘っていきましょう」と家族に語ったという。また、亡くなるまで家族以外には一切病名を隠し通した。
同年はがん宣告以後、三波は長編歌謡浪曲の集大成として制作していた2時間25分の組曲アルバム『平家物語』を構想10年執筆6年という歳月をかけた上で無事完成させる。この「平家物語」は第36回日本レコード大賞企画賞を受賞。
さらに8月には東京・銀座の歌舞伎座にて芸道55周年記念のリサイタルも開催され、その年の仕事を無事に乗り切った三波は、闘病生活に自信を持った。いつもと変わらぬ笑顔でステージに立ち続けた三波であった。

69歳にして、ハウス・ミュージックやラップに挑戦。
大正生まれが、ジュリアナでライブ・・・
今も昔も、他にもこんな精力的な活動をした、
活動をする超のつくベテラン歌手はいたのか、
いるのでしょうか?

がんの宣告を受けた後も、それ以前と変わらぬ仕事を
こなしているしているようですが・・・
辛くないのだろうか?痛くないのであろうか?
私自身はガンの経験がないので理解できないのですが、
昨年、母親が肝臓ガンを宣告され、手術しました。
ガンの場所、種類、進行状態など違うので、
一概には比べられない、言えないのでしょうが、
その時の母親を見ていると、とても仕事など出来る状態ではありません。
何よりも気が滅入っている様子で、生に対する意欲をなくしていました。
それが、ステージに立ち続ける・・・
カラオケで何曲かとは違うでしょうに
しかも、いつもと変わらぬ笑顔・・・
いくら仕事とはいえ、
それがトレードマークとはいえ
スッゲエ、じいさん!やなぁ・・・つづく
Photo
さぁ〜、イクよ〜!ノッてるか〜い・・・って、やたのかしらん

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://cms.blog.gnavi.co.jp/t/trackback/575199/31154845

三波春夫(7)を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

火鍋 蒙古苑 のサービス一覧

火鍋 蒙古苑