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2013年3月 2日 (土)

三波春夫(8)

つづいて三波春夫伝説・・・
・・・以下、Wikipediaより抜粋、編集

【こぼれ話】
1978年、映画『ルパン三世(現在では販売用ソフト「ルパン三世 ルパンVS複製人間」として販売)』の挿入歌「ルパン音頭」と「銭形マーチ」のレコーディングの際の逸話。作曲を手がけた大野雄二によれば収録スタジオにやってきた三波は、もう既にスーパースターでありながら驕ったようなそぶりは一切見せず、収録に参加したスタッフや大野に対しても「宜しく御願いします」と深々と頭を下げ、収録時には18歳も年下の大野に対して「先生、これで宜しいでしょうか?」と何度も確認するなど非常に丁寧な物腰で対応した、と大野の著書にて触れられている。
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・・・さらに(7)よりつづき

1996年暮れには永六輔作詞の『明日咲くつぼみに』をレコーディング、1997年発表。晩年の数年間は永六輔とも交流があり、老人ホームを訪問して、訪問先の老人たちが好きな歌を合唱したりなどの交流活動にも尽力した。
1998年8月6日、さだまさしが平和への祈念を込めて毎年夏に長崎で開催した無料コンサート「1998 夏 長崎から さだまさしコンサート」にゲスト出演。「この山は、この川は」と「世界の国からこんにちは」「大利根無情」を歌った。
1999年12月31日、第50回NHK紅白歌合戦へ10年ぶり31回目の出場。この回が生涯最後の紅白出演となった。当時76歳であった三波がこの時に歌った『元禄名槍譜 俵星玄蕃』は、60年にも及ぶ三波春夫の歌芸の集大成とも言われる。
2000年の5月、生前最後のシングル曲となった「富士山」のレコーディングを家族が見守る中行われた。この頃になると、だんだんと三波の体が弱りつつある状況であったとされている。
2000年11月、故郷の越路町の町制記念イベントで舞台に立ち、渾身の力を振り絞って歌声を披露した。これが現役歌手としての最後の舞台となり、安心したのか、その後体調を崩して翌12月上旬に東京都内の病院に入院した。
入院中に辞世の句と受け取れる「逝く空に桜の花があれば佳し」という句を遺している。これは三波が読み上げ、美夕紀が書きとったものである。2001年の1月末のことで、「辞世の句、みたいかな」と笑顔だったそうである。
2001年4月14日、前立腺癌のため東京都内の病院で死去、77歳。なお、亡くなる3日程前から眠っている状態だった三波だったが、亡くなる2時間前に目を開き、「ママ(ゆき夫人)、ありがとう。幸せだった・・・」と言った言葉が、三波の最期の言葉であったという。

な、涙が・・・

自分もこういう死に方が、否、生き方ができるだろうか?
最後に妻に向かって「ありがとう」と
「幸せだった」と、いえるだろうか?

きっと、奥さんは「こちらこそ」と
返したんだろうなあ・・・

ゆき夫人も、娘の美夕紀さんも、この家は・・・
きっと仲の良い家族、幸せな家庭であったんだろうなぁ

もう少し、いい話つづきます・・・

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